11月3日に発売された7巻よかったですね~。
8巻がまた楽しみなんですけど、それまでにもっと『軍人婿さんと大根嫁さん』の時代感、世界観に浸って、見識を深めようと思って。
『軍人婿さんと大根嫁さん』は、時代も地域も明言されていません。
けれど、ところどころに現実にあった(創作でない)昔の歌や物語、明治〜大正の文化が差し込まれています。
当時の空気感は、“新鮮”でもあり、どこか“懐かしい”気持ちも呼び起こします。
そして、その先の歴史を知るからこそ、時折ふっと胸が締めつけられる。
そんな不思議な余韻が、この作品の魅力のひとつなんだと思います。
これまでは各巻の記事に歌や物語の資料を貼っていましたが、
読者さんが気になったときにすぐ探せるよう、ひとつの記事にまとめて整理しました。
「この歌、どんな響きだったっけ?」
「元ネタの物語、ちょっと気になる」
そんなとき、ふらりと立ち寄ってもらえる場所になれたら嬉しいです。
■ 2巻より
虫送り
第15話「虫送りの話」では、誉さんの似顔絵を貼った人形が担がれ、
崖に落とされてしまう場面がありましたよね。
みんなが「去ね、去ね」と唱えるのを聞いて、
花ちゃんが行事の本来の意味をふと思い出す──そんな流れでしたね。
原始的サバイバル能力のおばあが颯爽と回収してくれて本当に良かった。
では、そもそも「虫送り」とは何なのでしょう?
虫送り(むしおくり)は、日本の伝統行事のひとつ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
農村で、作物につく害虫を追い払い、その年の豊作を祈るための
“ちょっと呪術的な”行事です。
この行事には、平安時代の武将・斎藤実盛の伝承が関わっています。
篠原の戦いで彼は、馬が稲株につまずいて倒れたところを討ち取られてしまい、
その恨みから稲虫となって稲を食い荒らした──
そんな言い伝えがあり、霊を鎮めるために行われてきたともいわれています。
虫送りは春から初夏にかけて、夜にたいまつを焚いて行われることが多く、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藁人形に悪霊を象って害虫をくくりつけ、
鉦や太鼓を鳴らしながら村の境まで練り歩き、
川に流す地域もあるようです。
映画「八日目の蝉」で虫送りが見れるよ。
「八日目の蝉」という映画、見たことありますか?
不倫相手の子どもを誘拐して逃げながら我が子のように育てるのですが、
その中で主人公が小豆島に身を寄せるシーンがあります。
夜、松明(火手)を手に畦道を歩く幻想的な場面があるのですが、
あれがまさに「虫送り」。
静かで少し切ない空気が漂っていて、印象に残る美しいシーンでした。
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「何処かに」ヘルマンヘッセ
第17話「友達の話」で出てきた詩です。親友の山本君が戦場に向かう船の上で、誉さんに渡したヘルマンヘッセの詩集。その中の栞が挟まれ、「無二の友 立花へ」と添えられた詩が、「何処かへ」でした。
【ヘルマンヘッセとは?】
ヘルマン・ヘッセは1877年生まれのドイツ出身作家で、のちにスイスへ移住しノーベル文学賞も受賞した人物。若い頃に神学校を脱走したり精神的に追い詰められたりと波乱が多く、その体験が作品に色濃く反映されている。詩人としても評価が高く、静かな自然や孤独をすくい上げるような表現が魅力と言われている。
その詩が、まさに花ちゃんの家に向かう誉さんにピッタリでした。
汽車の中で、誉さんは友を失った悲しみに人知れず涙をこぼします。
どこかに、僕の居場所がある…
はるにれ版短縮バージョン
まだ見えなくても、心はそこを知っている…
いつかたどり着けるだろう、静かな灯りのある場所へ…
ヘッセはこの詩で、孤独や迷いを抱えながらも、「どこかに自分を待ってくれている場所や存在がある」と静かに信じる心を描いています。
見えなくても、心の奥で確かに感じる灯りを頼りに、歩き続けようとするニュアンスが伝わってきます。
山本君は、誉さんの寂しさや大変さをそっと感じ取って、この希望に満ちた詩を送ったのかもしれませんね~
作者のコマさんは、このシーンに合う詩を探していたら偶然見つけたそうです。
作品にとっての運命的な出会い。本当に奇跡的です!
ホントの訳詩は、2巻でコマさんの絵とともに、ゆっくり味わってください。
■ 4巻より
ゴンドラの唄
2週間ほどの帰省が終わり、誉さんが任地に帰ってしまい、元気がなく体調を崩してしまった花ちゃん。お友達のツウちゃんが芸人さんの興行見物に誘い出します。
そこで最後に歌われた唄が「ゴンドラの唄」でした。
とってもこの唄を気に入った花ちゃんでしたが・・・
「ゴンドラの唄」は、1915年に生まれた大正時代の歌で、作詞は吉井勇・作曲は中山晋平。
あの有名な“いのち短し 恋せよ乙女”のフレーズで知られていて、松井須磨子さんが舞台で歌って一気に広まった名曲です。
アンデルセン作品の影響もあるらしく、どこか儚くてロマンチックな世界観があって…読んでいると、つい当時の空気までふわっと感じるんですよね。
■ 5巻より
「すずの兵隊さん」ハンス・クリスチャン・アンデルセン
第53話「留守の話」で、どうやら誉さんと花ちゃんは一緒に本を読んでいることが分かりました。花ちゃんのお勉強のために1ページずつ交代で読むようですね。誉さんやさしいっ。
そこで読まれていた本がアンデルセンの「すずの兵隊さん」でした。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンはデンマークの童話作家で、「人魚姫」や「マッチ売りの少女」などで知られています。
生涯を通じて多くの童話や手作り絵本を作り、独自の想像力で子どもたちの世界を描きました。
その物語は今も世界中で愛され、子どもから大人まで楽しめる作品として残っています。
すずの兵隊さんは青空文庫で読めます!→青空文庫「すずの兵隊さん」
「すずの兵隊さん」案外長文なので、簡略版作ってみましたので、よろしければどうぞ。
「すずの兵隊さん」 ハンス・クリスチャン・アンデルセン
あるところに、二十五人のすずの兵隊さんがいました。みんなそっくりでしたが、ひとりだけ、足が一本しかありません。それでも彼は、まっすぐ前を向き、しっかり立っていました。
テーブルの上には、小さなお城があり、窓から広間が見えます。庭には小さな木が数本、池には白いハクチョウが浮かび、ひらひらと羽を休めていました。お城の門の前には、片足で立つ小さな踊り子がいます。彼女の肩には青いリボンが揺れ、金の飾りが光っていました。
兵隊さんは、踊り子を見つめて思いました。「君も、僕と同じ片足なのだろうか…」そう考えながら、箱の隅に横になって彼女を見守りました。
夜になると、おもちゃたちは遊び始めました。くるみ割り人形が跳ね回り、石の上で石筆が跳ね、カナリアが歌いました。でも、兵隊さんと踊り子は、じっと動かずに互いを見つめ続けました。
翌朝、兵隊さんは窓から落ちて、紙で作った小さなボートに乗せられ、どぶ川を流されます。水は速く荒く、ボートはぐるぐる回りますが、兵隊さんは鉄砲を握りしめ、踊り子を思い続けました。
やがて町の台所に運ばれ、兵隊さんは小さな男の子にストーブの中へ投げ込まれます。炎の中、風が吹き、踊り子もふわりと飛び込みました。二人は、炎の中でひとつになりました。
朝、ストーブの灰の中には、兵隊さんの小さなハート形のすずと、踊り子の黒こげの金モールだけが残りました。二人は離れたけれど、最後まで互いを思い続けたのです。
おしまい
ちなみに最後が悲しい結末なだけに、「軍人婿さんと大根嫁さん」の最終回フラグではないかと不安がよぎりましたが、そんなことはないようですのでご安心を。
■ 7巻より
唱歌「海」
第65話「海の唄の話」にて、海デートからの栗崎遊園デート、帰りの汽車まで時間があったので、花ちゃんの希望でまた海を見に行くことにします。そこで誉さんは、苦い思い出のある海が花ちゃんのおかげでまた好きになれると伝えます。そして、花ちゃんへの思いを丁寧に伝えるのです。
花ちゃんは照れくさくなって、海の唄を歌うことを提案して、歌い出すのでした。
唱歌「海」
1913年(大正2年)に『尋常小学唱歌 第五学年用』で紹介された曲で、昼の明るい海と、夜のしずかな海を並べて描いた、やさしい情景の歌です。昼と夜の表情が自然に入れ替わっていくような、静かな移ろいが感じられます。ちなみに「海は広いな 大きいな」の有名な童謡とは、同じ名前でも別の曲です。
■ 世界観をもっと深く味わえるおすすめ資料
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レビューで内容が良さそうなので載せてみました。
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■ まとめ
作品に登場する歌や物語は、キャラの気持ちや時代背景をさりげなく語ってます。
この記事が、物語の余韻を何度も味わうお手伝いになれば嬉しいです。
今後も新刊が出るたびに追記していくので、気が向いたらまた遊びに来てくださいね。

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